新旧

書くことができないということはそういうテンションではないということなのだろうか?

それでも書き出してしまえるところにこの文章の意味があるのかもしれない。

書き出せないのに書くことができるということ。

それを追求していくと何かが生まれる。

ずっと書き続けてきてその方向性が見えてきた。

 

 

 

 

 

最近は時間もズレてきて、また巻き直さなければいけない。

わからない状態でこのままいくのだろうか?

描き方の加減である。

だからこそわからなくなってしまうのだろうし、自分の道を見失ってしまうのだろう。

その背景を見て取ることができればだいぶ違うのだろう。

 

 

 

 

新しいも古いもないのかもしれない。

自分のやりたいことだけをやっていても飽きてしまうということがわかってしまった。

そこから追及していくものの自分の方向性がわかればもっと自由にモノが書ける。

何も見えていない状態での文章とは本当にわけのわからないものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

わけがわからないまま書き始めると最後までこんな文章を書き続けてしまう。

それは物語にしても同じことなのかもしれない。

自身で把握しきれないまま最後まで行ってしまうということなのかもしれない。

そこには何も面白みを感じることはできない。

 

 

 

 

 

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