熱気

書きたくない時がある。

書きたいと思えることが何もない時がある。

そんな時に書き表される文章とはいったいなんだろうか?

それが今ここに書かれている文章なのかもしれない。

答えな何もない。

ただの文章の羅列である。

感情のない文章。

それでも文章は書くことができるということだけがわかる。

 

 

 

 

 

90年代の熱気というものは結局はなんだったのだろうか?

一つの資料だけではくくれないものがある。

けれどもそういった資料映像を目にするたびにとらえどころのなさに戸惑ってしまう。

俯瞰してみることができる初めての年代ということも言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

旧来のものと新しい波の接触を見せた年代と言ってもいいのかもしれない。

ゲームやインターネットや様々な新しい取り組みや取り入れようとする波がそこに見られる。

そしていろいろな分野で活躍する場を与えられた人たちをテレビ映像として残された時代でもある。

それ以前はやはりどこか落ち着いてみえるし、勢いはあまり見られない。

 

 

 

 

 

そういった昔の映像を見て、自分もその年代で青春を送っていたことを改めて映像で見ることができるというのは貴重な体験だと思う。

戦争経験者でもないのに戦中派としてたたえられている人の話を聞いているような、そんな気分に近いのかもしれない。

そこにも価値が確かにある。

 

 

 

 

 

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