習慣として
物語として描きとおせる規模がつかめていない。
自分の作っている物語の規模をとらえることができない。
作りながら覚えていくしかないのはわかっている。
やりなれたゲームをこなすのとはわけが違う。
例えばロックマン2だったら通しで一時間もあればクリアすることができるが1、3はできないだろう。
だから短めの物語を作るのだけれども、それでも結局規模が定まらずにコマ割りまでは何とかできるけれども、そこから先に踏み出すことができない。
これもブログのように続けていく中で何度も繰り返すしかないのかもしれない。
そういう風に持っていくしかない。
自分の習慣にすることができれば考えなくても手を動かすことができるのかもしれない。
躊躇することなく進めるには習慣にすればいいということなのかもしれない。
ようやく理解することができた。
書きながら理解するというのは変な気持ちだけれども、そういうことなのかもしれない。
ということでまた描く部分を変えていけばいいのかもしれない。
ネームの部分とコマ割りの部分とペン入れの部分と、ということなのかもしれない。
ようやくわかってきた。
どうせ誰も、何を見ているわけでもないので、存分に自分の物語のキャラクターを作る作業スポットとして利用していけばいいということなのかもしれない。
そう考えるといくらでも作ることができるのかもしれない。