放出先

アイディアを形にする。

けれどもその術が明らかになることはない。

それを絵にして物語にまとめようとする行為を創作と呼ぶ。

まだ楽しんでい続けることができているのは貴重なことなのかもしれない。

やり続けるうちに、どこかで放出先のようなものが見つかるのかもしれない。

 

 

 

 

 

均衡点のようなものを探っている。

その作業自体が楽しい作業と言えるのかもしれない。

長く続けてきたかいがあったなと思える瞬間がある。

この机にいるだけで幸福な時間を過ごすことができるのである。

ゲームをやっているような感覚である。

 

 

 

 

自分でその楽しみの値というものを決めることができるのである。

これは誰から与えられるものでもない。

自分自身で楽しむものなのである。

それこそ究極の娯楽といってもいいのかもしれない。

暇つぶしには最適である。

ようやくその入り口のようなものが見えてきたのかもしれない。

何とか長く続けることができないだろうか?

 

 

 

 

物語に関して言えば、書ききれない範囲で作り続けることだってできるはずである。

それは形にすることができなくても作ることができるし楽しめることもできる。

物語は本来、作ることにこそ、楽しさがあると思う。

結局はその人の妄想を他人が見るということなのかもしれない。

 

 

 

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