偏見の功罪

ツイッターのおかげで色々と自分の中の偏見を取り払うことができるようになった。

そもそもどうして会ったことも話したこともない人を見て好き嫌いを決めてしまうのだろう?

人に興味を持つことで深く学ぶことができる。

逆にその人への偏見を抱くことで自分自身の了見の幅を狭めることになる。

 

 

 

 

嫌いな人がいるとその嫌いな人が読む本、主義主張、仕事や活動などその全てが嫌いになってしまう。

例えば嫌いな人がたまたま四国の人だったとして四国の人々すべてを嫌ってしまうわけにはいかない。

それって自分自身の可能性までもを狭めることになってしまうのではないだろうか?

 

 

 

 

例えば今は安保法案によって反対する人と賛成する人で色々と議論している。

視聴者がその議論を見て自分の考えの参考にするのかというと、そう簡単にはいかないと思う。

例えば自分の嫌いな人が賛成しているから自分は反対になろうという人もいる。

自分が賛成という立場をとっているから反対の人たち全てを嫌いになろうとする人もいるだろう。

結局は偏見を大きくしてしまい何も学ぼうとすらしなくなってしまうのである。

 

 

 

 

もちろん、政治の世界をそのままプライベートに持ち込むことはよくないと思う。

けれどもそういったことは自分の知らないうちに感覚として植え込まれてしまっていることもあると思う。

それって結局は偏見によってマインドコントロールされているのである。

 

 

 

 

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