面白さの正体
あんまり根を詰めすぎると終わった時にその反動で何もできなくなってしまう。
燃え尽き症候群というやつだ。
注意しないとそれは突然やってくる。
なので常に自身を把握しておかなければいけない。
どうやって把握するかというとやはり文章で把握するしかないと思う。
自分の体調や調子が文章に現れる。
もしくは現れない文章から自身の調子を判断する。
修練というものはそういうことなのかもしれない。
文章も絵も積み重ねれば、どうしても上手くなってくる。
一つよりも二つ以上のものを並行させることでその技術の修練度がわかりやすくなる。
これは文章に限定させても同じことが言える。
例えば小説と評論と同時に書き続けることでお互いがお互いを引っ張り合うような感じになる。
分からないなりに続けていると何かがわかり始めるのである。
頭で理解するのではなく身体で理解するというやつだ。
それは自分でも予測できない。
だからこそ面白いと思うことができるのである。
例えば映画を見るにしてもおすすめの作品をなぞるようにして観てもあまり面白くない。
自分で見つけた何かを、わからないながらも見ることで、わからないからこそ分かろうとするのではないだろうか?
例えば学ぶことにしてもそうである。
学校で習ったことよりも自分で世の中に対して学ぼうとする姿勢の方がよほど何かを学ぶことができるのではないだろうか?
体験を通じて感動を交えながら何かを学ぶのである。
そっちの方がよっぽど退屈しないし面白いと思う。