10分の過ごし方
画面を前にして何も書くことができない時、自分はいったい何を考えているのだろうと客観的に思ってしまう。
なぜ何も書くことができないのだろうか?
ということについて書くことができるわけだけれども。
頭の中では何かしらを考えていると思うのだけれども、それを文章にすることができないということなのだろうか?
それとも考えていることをそのまま文章にすることは出来ないということだろうか?
書くことが面倒だと思うことがある。
けれども書くことはそもそも面倒なことである。
暇を持て余しているからこうやって文章を書いている。
そもそも文章を書くことなんて何の利益になるわけでもないし、ただの時間つぶしである。
毎回500文字くらいの文章を10分から20分くらいの時間で書いている。
どんな文章を書いても自由である。
書いているときだけは退屈しない文章を書きたいと思っている。
あわよくば自分の成長へとつながる文章を書きたいと思っている。
自分を高めることができれば、なおのことラッキーではないだろうか?
世界平和について書こうが政治批判について書こうがそれは自分の自由である。
同じ時間の過ごし方でも自分の書いた内容一つで自分自身が変わるものなのだと信じて書かなければやってられない。
この文章が世界に影響を与えるとは思わないが自分には影響を与えているはずである。
だったら同じ時間のつぶし方でも有効に時間をつぶしたい。