踏絵

 デモに行く行かないで判断を求められている。

それは人々をどのように分け隔てているのだろうか?

安倍政権に対して賛成と反対で分けられていて、デモに行く人と行かない人でさらに区別されている状況である。

デモに行っていない人たち、行けない人たちは後ろめたさを感じている。

 

 

 

デモを奨励している人たちがデモに水を差している人たちを非難する構図が出来上がっている。

主にネット内での争いが顕著になっている。

炎上事件はそのほとんどがこれに当てはまる。

 

 

 

デモに行く人たちも色々と分けられている。

そのほとんどは促されていく人たちである。

そして現政権に対して不満を持って行く人たちがほとんどだ。

不満を口に出すことで意義を表明している。

彼らとデモに参加していない人たちとの関係性はどうだろう?

そこに優越感や非難が生まれる。

そして別の争いの構図が出来上がる。

 

 

けれどもその対立こそが無益ではないだろうか。

もともとは政府と民間との対立だった。

その図式に別の対立を加えることに意味があるのだろうか。

同士討ちである。

同調圧力が民間の間でも蔓延している。

お互いの首を絞めて犠牲者が出た結果が炎上事件として捉えられている。

 

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