差し迫った状況の中で

色々と差し迫っていて何もすることができない。とりあえず準備をすることはできた。あとは何も手につかない。目の前のことを文章にすることしかできない。とりあえず今日から明日にかけて耐えることができれば後は時間をつぶすだけの毎日へと移行する。それまでの辛抱である。ダメならダメでまた別の方法を考えればいいのである。

 

 

 

 

 

けれどもこれがうまくいけば、とりあえず今年の目標に到達することができるのである。多少の余裕も得ることができるのである。自分なりの目標を何とか今年中にかなえることができるというわけである。そうなれば別の目標に切り替えることができるわけである。それだけでもまたこれからの動き方に変化が現れるわけである。

 

 

 

 

 

 

 

一番最初が肝心である。そして長い時間を滞りなく済ませることができるかどうかにかかっている。制限された時間の中で集団行動ができるかどうか。そして審査されるわけである。何かを得ることができるはずである。それはいろいろと見ていくことができるのではないだろうか?さすがに慣れてきたところはあると思う。

 

 

 

 

 

 

久しぶりの旅行だと思えばいいのである。新しい世界に飛び込むことはいろいろと自分の中で変化を与えると思う。その中で自分の思ったことをできるかだけでなく思わなかったことにどう対処することができるのかということも学ぶことができるのではないだろうか?今日はもうこれくらいが限度だ。

 

 

 

 

 

 

新しい展開

ちゃんとした物語を作りたい。

自分の中でもう少しこうしたら上手くいくのではないだろうかと思うことを形にしてみたい。

一つのアイディアでそれが叶えられそうなときがある。

考えているのは徴兵検査を題材にした漫画である。

男が徴兵検査を受けるところから始まる。

 

 

 

 

 

身体検査、心理テスト、学科試験などを受けて最終的に兵隊として育てられるのかと思いきや国家反逆罪として、その場で処刑されるという落ちになっている。

始まりとオチはなんとなく出来上がっているが中盤のつなぎをどうするのかという所を考えているところだ。

ゲームを絡ませたい。

女子を絡ませたい。

検査以外で監視カメラなどを使って審査されていたということがわかるというギャグも盛り込みたい。

 

 

 

 

 

直腸検査とか包皮問題とかそういったことも取り入れることができる。

まず徴兵制とか徴兵検査とか軍の規則とかで気になっているところをいろいろと題材にあげていけばいいのではないだろうか?

フルメタルジャケット」とか「右向け左」とか古い題材しか持っていないという所がダメなのかもしれない。

 

 

 

 

また面倒くさいことになっている。

もう別に落ちてもいいと思っている。

これも一つの資料として持って帰ればいいのだと思う。

徴兵制にはじかれたと思えばいいのである。

できれば落ちたほうがいいくらいなのかもしれない。

そういう風に余計なこととして持って帰ればいいのではないだろうか?

 

 

 

 

 

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物語の内側

ページ数が増えるとその中で可能なことがたくさん増えてくる。

物語の幅が広がる。

描けることも増えてくる。

それに伴って区別できるようにしなければいけない部分も増えてくる。

そして段階も増えてくる。

これはすごいことだ。

自分の中の物語を内側から広げるようなものだ。

 

 

 

 

キャラクターを区別するためにいろいろな方法がある。

表情、髪型、容姿、小道具、セリフ、着ている服や、名前など。

それらを一つ一つ使い分けてキャラクターというものを作り上げていかなければならない。

けれども作り上げるのは一人の人間である。

同じ一人の人間がいくつものキャラクターを使い分けていかなければならない。

 

 

 

 

作っていくうちに自分の中でどんどん使うことができる技術を使っていることがわかる。

自分自身の範囲のようなものを自分で見極める作業だ。

コマ割りにも少しずつ変化が見られていくのかもしれない。

枠を超えた作品を作り上げていく。

 

 

 

 

自分の中で可能性を広げていくのは楽しい。

その可能性を自分の作った掲示板で人に見せることもできる。

できることや楽しめる範囲など、いろいろな可能性を自分の中で楽しめることができる。

それはものすごく貴重な体験だと思えるし、何とかつなげていきたいと思っている。

 

 

 

 

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6ページの壁

描こうと思えば描くことができるということが分かった。

毎日6ページの作品を作ることができるということだ。

続き物で6ページ作ることも可能なのではないだろうか?

接続することは出来なくても大体の感じで作ることはできるのではないだろうか?

できるのだということ自分自身の感覚で探っている。

 

 

 

 

 

自分が囚われている檻というものの感覚をつかむことができる。

そんな瞬間がある。

檻の中を探る感覚を持つことができる。

場を盛り上げる感覚としてトーンや集中線やセリフやコマ割りといった修飾絵が存在する。

まず最初に必要なのは物語を作るという行為そのものなのだということが分かった。

 

 

 

 

要するに考えすぎていたのだろうし、机上でこねくり回し過ぎたのだろう。

自分の中で物語は出来上がっているのにそれを形にすることができないストレスを感じ続けていたということなのかもしれない。

大体の長さを作ることができれば、それは物語となっているのである。

見栄えだってするに決まっている。

 

 

 

 

自分の中だけでの物語として成立させていけばいいだけの話なのである。

最初はイラストから始まって、ここまで物語に仕上げることができるようになったわけである。

それは立派な成長であるし、物語の土台として着実に築き上げつつあると思う。

とりあえず自分の中の楽しみとして築き上げることができればいいなと思っている。

 

 

 

 

 

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熱気

書きたくない時がある。

書きたいと思えることが何もない時がある。

そんな時に書き表される文章とはいったいなんだろうか?

それが今ここに書かれている文章なのかもしれない。

答えな何もない。

ただの文章の羅列である。

感情のない文章。

それでも文章は書くことができるということだけがわかる。

 

 

 

 

 

90年代の熱気というものは結局はなんだったのだろうか?

一つの資料だけではくくれないものがある。

けれどもそういった資料映像を目にするたびにとらえどころのなさに戸惑ってしまう。

俯瞰してみることができる初めての年代ということも言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

旧来のものと新しい波の接触を見せた年代と言ってもいいのかもしれない。

ゲームやインターネットや様々な新しい取り組みや取り入れようとする波がそこに見られる。

そしていろいろな分野で活躍する場を与えられた人たちをテレビ映像として残された時代でもある。

それ以前はやはりどこか落ち着いてみえるし、勢いはあまり見られない。

 

 

 

 

 

そういった昔の映像を見て、自分もその年代で青春を送っていたことを改めて映像で見ることができるというのは貴重な体験だと思う。

戦争経験者でもないのに戦中派としてたたえられている人の話を聞いているような、そんな気分に近いのかもしれない。

そこにも価値が確かにある。

 

 

 

 

 

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出会いと機会

ようやく少し落ち着いた。

ホッとしたところで再びどうしていいかわからない状態になってしまう。

ここからどう動きだすのかで、また変わってくるのではないだろうか?

書くということはスタートを常に急かされているようなものなのかもしれない。

新しいことを常に念頭に置いておかなければならない。

 

 

 

 

 

都内の色々なところに行くと出会いや機会といったものはその場限りが多い。

その時に決断を下すことができるかどうかにかかっている。

逃したら次の機会はない。

そういった経験がかなりある。

だからこそ最初の出会いで自分自身が常に試されることになる。

 

 

 

 

 

それはやはり瞬発力の問題もあるのだろうしコンディションの問題もあるのだろう。

常にボルテージを高めに持って居続けることができるかどうかにかかっている。

スタミナでありテンションである。

それはいつ起こるかわからない。

予期もしない状態で突然やってくる。

 

 

 

 

そういった機会を自分は逃し続けてきた。

出会いを逃し機会を棒に振り続けてきた。

そして自分自身で閉じこもることでその理由を探し続けるという真後ろを向く行為でふさぎ込んでいた。

もちろん理由にはならない。

ここからどうするかしか念頭にない。

勝負することができるかどうか。

 

 

 

 

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スタミナ

一つの物語を作り上げるということはかなりの踏ん切りが必要になる。

スタミナと気力が必要だ。

その時のやり遂げ感は半端ない。

工程を何段階にも分けなくてはいけない。

それは四コマだろうと16ページだろうと関係ないのかもしれない。

まずはという気持ちで作ってみなければいけない。

 

 

 

 

 

本来ならもっと手を入れなければならない。

でもそうなるとまた更に段階を踏むことになる。

セリフだってトーンだってある。

最低限の物語にするまでにどれだけの過程を潜り抜けることになるのだろうか?

コマ割もしなければならない。

一ページでできる限界というものが限りない。

 

 

 

 

 

そう考えると一つの芯のようなものをまだ得ていないということがわかる。

それは人の心を動かす瞬間のようなものなのかもしれない。

画竜点睛みたいなことなのかもしれない。

逆に言えば、それがなければいつまでたっても成しえないような、そういうものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

いや、実際にはそんなものは存在しないのかもしれない。

そんなことを考えているから、いつまでたっても何も作り上げることができないのかもしれない。

本当はこの瞬間に一つでも作り上げることができるものなのかもしれない。

だからこそ自分にとっては永遠に到着することのできない境地なのかもしれない。

 

 

 

 

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