日々の生活
突然、思い浮かんだ物語が実はずっと前から作ろうとしていた物語であったということが作っていくうちに気づいていく。
何度も繰り返してしまう。
違うものを作っているように思っていても実は全て同じ作品として捉えているのかもしれない。
けれども作っているうちにいろいろと問題が浮上してくる。
それもよくあるパターンである。
色々な理由で放り出してしまう。
ようやく作ろうと思える作品に出合ったと思った瞬間にまた振出しに戻る感覚である。
取り越し苦労を何度も繰り返す。
作り上げた感覚というものもないのにどうして作り続けようとするのだろうか?
少しずつ作っている。
けれどもこれも結局手放してしまうのだろうかと思ってしまうと気分が重い。
今は必死でそのしっぽをつかんでいる状態である。
何とか逃してはなるものかと。
「ワンダと巨像」は釣りゲームに似ているところがあるのかもしれない。
そして巨像を倒すところは魚を釣り上げる行為と似ている。
そこには達成感がある。
他の達成感とは何だろう?
自分にはその達成感がない。
作り上げたという感覚がない。
逆に日曜大工とかのほうがまだ感覚があるのかもしれない。
料理にも達成感がある。
けれどもそれ以外ではあるのだろうか?
日々の生活にそれが隠されているのかもしれない。