憤り
田代まさしが盗撮で警察に書類送検された。
そのことにまつわるニュースや意見が飛び交っている。
憤りを感じている人もいれば彼を皮肉っている人もいる。
けれども考えてみればおかしな話である。
彼から直接、迷惑をかけられた人というのは盗撮された被害者である。
田代まさしが再び警察の世話になったとして裏切られたと言っている人たちとは何だろうか?
ちょっと前に取り沙汰された佐村河内や小保方でも直接に被害を受けたり損失を被った人でもないのに大っぴらに批判する人たちとは?
大方は彼らについて意見することで自分に注目が集まることを見越して発言している人たちなのではないだろうか?
僕が田代まさしに注目してしまうのは彼のイベント気質に関してである。
花火やワールドカップみたいなものである。
彼を見ていても感動することもなければ励まされることもない。
ましてや裏切られたと感じることもない。
対岸の火事みたいなものだ。
見ていて面白いから注目しているのである。
彼が事件を繰り返すたびに悲しくなることなんて何もない。
けれども大半は違うのだろうか?
メディアやネットを通して自分の倫理観や道徳の価値基準を訴えるということが起因しているのかもしれない。
自分も含めて誰かしらの注目を集めたいからこそ声高に主張しているのだろう。
善と悪の区別をつけたいがために彼を非難することで彼と自分は違うんだと自己表明しているのである。