書けなくなってしまうのは
鬱々としている。
書くことはできるが、いつ書かなくなるかわからない。
書けなくなることについて考えてしまう。
先が見えてしまった瞬間に書けなくなってしまうのではないだろうか?
書き始めの頃は不安が続く。
だからこそ書くことでその不安を満たそうとする。
その間はなにがしかの文章を書くことができる。
けれども自分が書いていることが自分自身でわかってしまった瞬間に書かなくなってしまうのではないだろうか。
書けなくなってしまうのではなくて、書かなくなってしまうのである。
それは自分の書いていることがわかってしまうからである。
不安や悩みがなくなってしまった瞬間に書けなくなってしまうということなのかもしれない。
書くことに限った話ではない。
仕事にしてもそうだろうし趣味にしてもそうなのかもしれない。
先行きが見えてしまった瞬間にやる気が起きなくなってしまうのである。
気持ちの持ち方一つなのかもしれない。
仲間や友達がいれば多少は紛らわすこともできるのかもしれない。
一人だと紛らわすこと自体が無意味に感じてしまうのかもしれない。
突然、起きてしまうのである。
だから書いている人が書かなくなるということは残された文章から判断するのは不可能なのかもしれない。
残された文章から読み取れるのは書くことができる状態の心境である。
そのあとの状態を表した文章というのは書き手の頭の中にしか残っていないのである。
そして書き手は自分の頭の中で起きていることを見ようとしないのである。