外は雨が降っている。

相変わらず書くこともない。

画面の前でひたすらボーっとしていると時間が止まったように感じる。

 

 

 

外は雨が降っている。

傘をさして会社へ向かっている人もいる。

雨の中、配達のバイクを走らせている人もいる。

毎日の生活の中で自分が何を考えているのかを振り返ることはできないのだろうか?

その時どう思っていたのかを自分は思い返すことなんてできない。

 

 

 

こうして文章を書いていても、誰もこの文章を読んではいないとわかってはいるのだけれども、それでも誰かが読んでいることを意識して書かずにはいられない。

 

 

 

自分自身を知ってほしいとは思わないのだけれども自分の文章を読んでほしいと思っている。

考えるとおかしいことなのかもしれない。

 

 

 

何万文字の文章を書けばその人自身を表すことができるのだろうか?

たとえその人自身を文章で書き表せたとして誰がその文章を読もうと思うのだろうか?

 

 

 

ある著述家が人間というものを書き表そうとした。

そして膨大な量の文章を書いた。

庇護者が自分でも読めるようにと著述家に編集することを促した。

「人間は生まれて苦しんで死ぬ」という文章が残された。

 

 

 

基本的な考え方はその人と変わらないのかもしれない。

そんな簡単な文章ですらも雨の中わざわざ足を止めて読もうとは思わないのかもしれない。

 

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