プラカード

結局、安全保障関連法案とは何だったのだろうか?

そして採決後に何が始まろうとしているのだろうか?

審議後のプラカードのゴミを見ていて祭りの後を思い出す。

彼らはただ浮かれ騒ぎたかっただけなのだろうか?

確かにピリピリした空気が多少薄れたのかもしれない。

それは失望を意味しているのだろうか?

けれども正直な話、浮かれ騒いでいる人たちを見て自分は蚊帳の外にいるような気分である。

 

 

 

安倍総理の支持率がさらに下がっているらしい。

戦争反対を掲げるデモが起きているらしい。

ネットでは不用意な発言が裏目に出て炎上騒ぎが起きているらしい。

でも、どことなくよそよそしい。

それでいて罪悪感がある。

参加できなかったことに対する孤独である。

何をすればいいのか全く分からない。

デモに行けば気が紛れるのだろうか?

ネット上で揶揄すれば気が晴れるのだろうか?

誰かの意見に賛同して与すればいいのだろうか?

 

 

 

戦争反対と断固として主張し続ける人たち。

憲法9条を問う人たち。

彼らを非難する声。

ネトウヨ放射脳、炎上商法。

もしくはまるで何も見えていないように振る舞うテレビの人たち。

うんざりしてしまう。

大半の普通の人たちは遠目で見ているだけなのだろう。

つまり何をしていいのかわからない人たちが大半なのだと思う。

 

 

 

残念ながらその大半の人たちを動かすことはできないのである。

又吉の芥川賞受賞のように単純に皆が喜べるような話ではない。

戦争をしたくないと主張している人もいれば、日本はアメリカから独立するべきだと主張する人もいる。

憲法を改正することに躍起になっている人もいれば、そんなこと自分には関係ないという人もいる。

けれども結局はわからないのである。

何をすればいいのか、誰を信じればいいのか、何を主張すればいいのか。